THE LAUGHING WOLF

便所のお供に、是非。

五鬼物語

修験道の開祖である役小角役行者の名でも知られる彼は、飛鳥時代から奈良時代にかけて活躍した呪術師である。その名は日本史やぬ~べ~等から知った人も多いことと思う。約1400年前の人物であるにも拘わらずその名が今もこうして語り継がれていると云うことが、彼の業績の偉大さを物語っている。

 

この役小角は前鬼と後鬼と云う鬼の夫婦(前鬼が夫、後鬼が妻)を従えていた。生駒山で悪さを行なっていた前鬼・後鬼を役小角が懲らしめて改心させ、従者にしたのである。前鬼・後鬼が捕まえられた場所は鬼取山と呼ばれ、現在も奈良県生駒市鬼取町としてその名を残している。

 

前鬼と後鬼には「五鬼」と呼ばれる五人の子供がおり、夫々名を真義、義上、義達、義元、義継といった。

 

彼らは現在の奈良県吉野郡下北山村の位置に修行者の為の宿坊を開き、五鬼熊(ゴキクマ)、五鬼上(ゴキジョウ)、五鬼助(ゴキジョ)、五鬼童(ゴキドウ)、五鬼継(ゴキツグ)と云う家の祖になった。彼らの家に生まれた男の子には代々「義」の字が用いられた。

 

実に1000年以上もの間、修験道者の為に宿を営み続けた彼らであったが、明治維新後に発布された太政官布告に伴う廃仏毀釈運動や修験道禁止令などの煽りを受け、修験道が衰退した結果とうとう宿坊の廃業に追い込まれた。現在は五鬼助家が経営する小仲坊だけが存在している。

 

これが五鬼物語の粗筋である(コピペじゃなくて俺が資料見ながら全部書きました。誰か褒めて)。宿坊が残っているのは五鬼助家の経営する小仲坊だけであるが、「五鬼助」「五鬼上」「五鬼継」の姓はまだ現存する。

 

十数年苗字を研究している自分だが、この五鬼物語には本当に衝撃を受けた。「五鬼継」等の字面のインパクトもさることながら、鬼の子孫であることがここまで裏打ちされている苗字が存在することが何よりも驚きである。この話を聞くと、単に想像上の生き物でしかなかった鬼の存在がぐっと現実味を帯びてくる。

現在も小仲坊では、61代当主である五鬼助義之さんと云う方が宿を経営されているそうだ。鬼の子孫がこの平成の時代に宿を経営している、こう書くだけでも不思議な気持ちになってくる。

1400年と云う長い年月の間で、伝説と現実が綯い交ぜになったロマンに溢れる「五鬼」を冠する苗字たち。残念ながら「五鬼童」「五鬼熊」の姓はもう無くなってしまったようだが、日本の伝説を体現する五鬼の苗字は、これからも文化的遺産として守られていくべきだと思う。