表札泥棒にならない為に
2009年2月、とある泥棒が世間を騒がせた。
泥棒が盗んでいたものは珍しい苗字の表札。
逮捕された際、自宅から約300枚の表札が押収されたという。
泥棒は「電話帳で珍しい名字の住所を調べて盗みに出掛けた。楷書で書かれた奇麗な表札が好きだった」と供述し、なんだこいつワケワカンネーと世間から非難を浴びた。
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表札泥棒再逮捕、300枚収集 「珍しい名字、好き」 - 47NEWS(よんななニュース)
当時私は高校生。
この事件が起きるや否や、学校へ行くと擦れ違う友人達に
「あの泥棒、お前かと思った」
と異口同音に言われた。
そう思われるのも仕方ない。
そして実際の処、私はこの泥棒が滅茶苦茶羨ましかった。
報道によると泥棒は蒲団の周りに表札を敷き詰めて床に就いていたという。
こんなに羨ましい状況があるだろうか。
苗字に取り憑かれた人がどの位いるのかは分からない。
少なくとも私の苗字フリークぶりは病気みたいなもんで、名簿を見かけると涎が止め処なく溢れ出るし、中高生時代の休日は図書館に閉じ籠もりまるで写経をするかの如く、ハローページから珍苗字を探してはノートに書き写していた。
↑当時私が苗字を書き写していた藁半紙。因みに氷山の一角である。
私の地元はカエルに会うより人間に会う方が難しいくらいの田舎だったので珍名の表札を見つけることは困難であり、苗字を調べる方法はネットと図書館に頼りきりであった。
京都に越してからは、散歩がてら凡ゆる土地の表札を見て回るようになった。
苗字は地域性が根強く出るので、研究にはフィールドワークが有効である。また京都は民家が密集しているので対費用効果が大変高い。道路の両脇を左見右見して歩くので電柱と仲良くなることも屡々。苗字フリークにとって団地はサンクチュアリ。
そこで激レア苗字の表札に出会すと持って帰りたくなる気持ちもわかる。
然し私はここでグッとその気持ちを堪え、断腸の思いで写真に収める。
人の家の表札を撮る姿はかなり奇怪に映るが、そこに違法性は全く無い。
表札は取るものじゃない。撮るものだ。
こうして私の表札写真コレクションはどんどん増えていった。
上京してからも、珍しい表札を見つける為にわざと遠い駅で降りて、徒歩で帰ることがままある。どこのサイトでもヒットしない苗字を見つけた時の感動は何物にも代え難い。
わざわざ珍名の表札を撮って私に送ってくれる友人もいる。
矢張り持つべきものは友達である。
というわけで苗字フリークの皆さん、表札の写真を撮りましょう