THE LAUGHING WOLF

便所のお供に、是非。

MAGIC

自分は典型的な「熱しやすく冷めやすい」型の人間で、今迄いろんな物に手を出しては表層だけ囓ってきた。生涯続いているのは漢字と苗字の研究くらいである。

 
 
そして、マジックも今迄に囓ってきたものの一つであり、最近その熱が蘇ってきている。というのもバイトの休憩中後輩に輪ゴムを使ったマジックを見せたら存外に受け、彼が家で態々タネを調べて練習していると云う話を聞いて、もっと彼にいろんなマジックを見せたいと思った所存である。
 
元々マジック自体は幼稚園に通っていた頃から興味があり、テンヨーの練習しなくても使えるマジックグッズを誕生日プレゼントに貰ったりするくらいには好きだったのだが、ほぼ見る専であった。
 
親父も見る専で、マジックの特番があれば録画してよく親父と一緒に観ていた。求めてもいないのに親父はマジックのタネを自分に解説してくれた。そのお蔭で(所為で)マニピュレーションの分野に至っては粗方タネが分かってしまう。
 
高校に入ると、クラスメイトにマジック好きな子がいて、彼に触発され家でカードやコインのルーティンを身に付けようとしたが敢え無く挫折した。登校中の電車の中でずっと500円玉を握りしめてめっちゃ手に馴染ませようとガンバってたりした。
 
そしてみたびマジック熱に火がつき、夜な夜なバイシクルをいじくり回している訳だが、矢張り自分は手が小さ過ぎるし、指が短すぎる。この指の短さの所為でどれだけ挫折を味わったことか(ギター、ピアノetc)。
 
大学に入って一人暮らしを始めてからは全くマジックに触れていなかったが、今はYouTubeやニコ動にプロアマ問わず沢山のマジックの動画が上がっていて、ああテレビがなくてもマジックは観られるんだな、と現代っ子の分際で軽いカルチャーショックを味わった。種明かし動画も多くて、参考にする反面「これ習得して人前でやったところで調べられたら終わりやん」と意気消沈したりもする。
 
親父の時代はヒロ・サカイがセンセーショナルな印象を受けたマジシャンだったらしいが、自分等の世代で云うとセロがそれにあたるのだろうか。テレビで初めて観た時はあまりの衝撃に録画したものを何度も何度も見返した覚えがある。
 
今となっては、あの時セロがテレビで披露していたマジックは仕込みや編集バリバリと分かって少々残念に思うけど、矢張りそれは尋常じゃないスキルがあってのもの。タバコのマニピュレーションとかわけわからんもん。
 
ふじいあきら前田知洋も、テレビで一番組やれちゃうようなマジシャンの技術は人間離れどころでら無いわけだけど、今のご時世マジックでどれほど稼げるのだろうか。今はもうマジック自体の人気が下火なのかもしれないけど、たいして露出が無いマジシャンでも物凄い腕前の人は大勢いる気がする。FISMとか観てても「え」って思わず声出るようなマジックする人ばかり出てるのに、数年も経てばもう見ないからなぁ。
 
FISMとか海外のマジックの動画見て思うのは、日本人はマジックを素直に楽しめないんだな、と云うこと。マジックを見て第一に発せられる言葉が「分からない」「何故」ばかり。「すごい」「やばい」が第一に出てこない。スタンディングオベーションが日本で起こることは果たしてあるのだろうか。マジックに限らず、舞台やダンスとかの公演で、自然に起こることはあるのだろうか。「タネ教えて」って言葉が二の句に出てくるのは何故なんだろう。知ってどうするんだろう。自分みたいな素人がやったマジックならいざ知らず、マジックを生業にしているプロがやってるもののタネを知ったところで、できるわけがないのに。勿論素直に楽しんでる人もいるのだが、往々にして日本人には穿った見方をする人が多いように思える。それが日本人としての素直な楽しみ方なのだ、という見方もあるけども。
 
日本にも「手妻」としてマジックの一ジャンルが築かれているけど、手妻の客の反応もそんなんだったのかな。藤山新太郎の水芸最高やでしかし。
 
国毎のマジックに対するオーディエンスの反応と舞台の劇評には、関連性がある気がしてならない。海外の舞台の劇評に興味がある。日本は毀誉褒貶が半端、海外(欧米)は明確なイメージがあるが、はてさてどこで見られるだろうか。
 

取り留めのない駄文を書きすぎたので、David Blaineの伝説のパロディでも貼って〆ます