THE LAUGHING WOLF

便所のお供に、是非。

うんこの深淵

うんこで金稼げないかなーと思い、夜な夜な「うんこ屋さん」でググっていたところこんなページがヒットした。

 
深夜テンションも相俟って一頻り笑った後、文章を繰り返し読んで詠嘆した。
 
何が凄いかって、この文の面白さが決してうんこそのものの面白さに依存していないこと。
 
 
「うんこに考えさせられる」
「うんこに扱われる」
 
遉の私もここまでの発想に至ったことは無いと記憶している。
うんこのスペシャリストを自負している私だが、具体的な糞便としてのうんこに拘泥するばかりで、確かに概念的な存在のうんこに就いては思慮に欠けていたかもしれない。この程度の心持ちでうんこで金を稼ごうなどと思っていた自分が情けない。
 
 
うんこに就いて最後に人と語ったのは一体いつになるだろう。もう私らぐらいの歳になってくると、一周回って下ネタで「うんこ」を用いることは無くなってくる。私達の年代で下ネタと言えば性器や性行為に纏わるワードがその地位を壟断しており、うんこは性行為に絡めハードな下ネタとして垣間見える程度。単純に下ネタとしてうんこを用いるのは寧ろハードルが高い行為になってしまっている。
 
こうした下ネタの推移は、第二次性徴の発現に伴うと推察される。思春期の子供達がより世間的に禁忌とされる単語を得てしまったことで、うんこやちんこを離れセックスやワギナやオナニーに移っていくわけだ。これによりうんこに就いて人と語らう機会は指数関数的に減っていく。
 

然しいい年こいた大人でも、うんこに就いて真面目に語り合う機会があって良いと思う。世の中には汚言症と云う病に苦しむ人もいるのだから、気兼ねなくうんこを語れるスペースを国が作り上げ、陰陽を燮理することが今の日本には必要だと思う。
 
うんこは言葉だけだと面白いのに、実物は全く面白くない。このような自己矛盾を内包するうんこは最早存在そのものが哲学であり、今後も研鑽されるべき対象であると言えよう。そしてゆくゆくは、うんこで金が稼げるような明るい国になることを私は願う。



 
ちなみに「うんこの深淵」と云うワードはグーグルでも一切ヒットしない(当ブログ最大の快挙)